2010/06/30 Wed

カレー記録(2010年6月)

6月に食べたカレーのリストと短評

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2010/06/30 Wed

本田選手の言葉

サッカーワールドカップ日本代表はベスト16で敗退してしまったけど、大したものだった。しかし、その結果もさることながら、実質的なリーダーとして大活躍した本田圭佑選手の発言には驚かされた。発言を見て、戦前、予選で3戦全敗という予想を見事に覆したのは彼の存在が大きいと思った。

デンマークに勝利し、予選突破した直後のインタビュー。「思っていたよりも、なぜか喜べないですね。『優勝』って、日本国民の前で公言してるんで。目標はまだはるか先にあるんで」(朝日新聞のネット)。

総理大臣になってハシャいでいるように見えた某国の政治家に聞かせてあげたい発言だった。「勝って兜の緒を締めよ」とはこういうことだろう。

パラグアイに敗れた直後のコメント。「批判する人がいなかったら、ここまでこれたかどうかわからない。応援してくれた人だけでなく、批判してくれた人にも感謝したい」(朝日新聞のネット)。

こんなこと言えるかね、普通。私なら今までバカにしていたヤツざまみろ、という気持ちになりそうな気がする。予選を突破した自負心があるからこその余裕かもしれないけど。

同じく、パラグアイ戦後のコメント。「おれが日本人かパラグアイ人じゃなかったら、きょうの試合は見ていないし、知っている選手は1人もピッチにいない。そういう試合と認識している」(スポニチのネット)。

本田選手って本当に大人だ。オレ様的なキャラクターに見えるのだけど、発言を聞く限り、全く違う。だから、オランダのチームでキャプテンを務めたりできたのだろし、前回大会ではチームワークに問題があった日本チームがまとまったように見えるのだろう。

もし、日本がワールドカップで優勝したら、本田選手はどんなコメントをするのだろうか。きっと、「おれのサッカー人生はこれがゴールじゃない」とか言うのではないか、と思うよ。
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2010/06/29 Tue

そういえば、健康診断の結果について

つい最近、健康診断の結果が来た。結論から言えば、異常なしだったのだけれど、体重が増えすぎて、要経過観察となってしまった。要するにメタボに注意せよということらしい。

最近、暑くなり、メタボが良くないことは身にしみる。でも検査の結果はなんともないのに、体重に注意とは余計なお世話という気がしないでもない。BMIを気にして無理に体重を落とすよりも、少しぐらいメタボの方が体に良いような気がする。

健康診断の結果も昔はもっと適当だった気がするけど、最近は以前よりも細かくなっている気がする。また、メタボ検査なんて、国のおせっかいが進んでいる気がする。こういうことで仕事を増やしているような気がする。

だから健康診断なんて受けない、と思わなくもないのだけれど、この年になると念のため受けておきたくなる。万が一大きな問題があったら、どうしようという不安がある。この頃、健康診断の季節になると、年を感じる。
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2010/06/28 Mon

どこに投票したら良いかわからない

7月11日の参院選投票を案内するはがきが届いた。妻は「どこに投票したらよいかわからないけど、棄権はよくないよね」という。

この言葉を聞いて昔に読んだ、4コママンガを思い出した。主人公が投票所に行って「棄権」と書くオチ。だから、それを真似たらどうだ、と提案した。

すると娘が、「○○さんがいい」という。誰の名前か忘れたけど、選挙ポスターを見て、良さそうな人と判断したらしい。それにしてもよく名前を覚えているものだ、と感心する。

仮にこれで誰に投票するかは決まったとしても(決めてよいのかよ)、どの党に投票するのかは決まっていない。だから私が「さとう(さ党)」とか書いたらどうだ、とくだらない提案をした。

しかし、妻は「さとうじゃ何のことかわからない」といい「かりんとう」はどうだと切り替えしてきた。この「かりんとう」を娘が気に入ってしまい、「かりんとうから立候補して選挙をする。公約はケンカのない社会(家庭)の実現。対立候補はお父さん」ということになってしまった。

投票するのは妻と妻の両親という圧倒的不利な状況。私は「娘を徹底的に躾る」ことを公約にして、両親の票の取り込みを狙う。党の名前は「かりんとう」に対抗して、「こんぺいとう」にしようと思ったら、激しく抵抗されてしまった。

妻は「水戸なっとう」はどうかという。公約は「ねばります!」ちょっといいかも。こんなことを考えていて、世の中、ますます気が抜けてしまわないか、ちょっと心配。
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2010/06/27 Sun

『古希の雑考』

岸田秀(著)
★★★★  今読んでも古くない、と思う

(2008/8/16)

古希の雑考―唯幻論で読み解く政治・社会・性 (文春文庫)
タイトル通り、岸田秀が概ね70歳頃にあちこちに書いた<雑文集>。筆者の言いたいことは一貫して変わっていないのだけれど、その考えをもとに現実に起こっていることを切れ味鋭く解説してくれるので、見逃せない。

あとがきで筆者は重点的に読めば良い文章を書いているけど、個人的に面白かったのが、<「総理」と「草履」は使い捨て>と題する文章。これって日本の首相がコロコロ変わる根本的な理由を論じているような気がする。長々と引用してみる。

<わたしは、以前から日本は外国を崇拝する卑屈な外的自己と外国を嫌う誇大妄想的な内的自己とに分裂していると主張し続けているが、ごくおおざっぱに言えば、近代以来の日本においては、政府が外的自己を代表し、民衆、国民一般は内的自己を拠り所にしていて、この分裂構造が支配者と被支配者との関係、政府と民衆との関係に特に鋭く表れているのである。>

<首相が初めは人気があっても、そのうちに不人気になってやめさせられるという運命を不可避的に辿るとすれば、その原因は国民の自己欺瞞、現実離れした内的自己を守ろうとする自己欺瞞にあるのではないかと思われる。すなわち、国民自身も現実をまったく無視しているわけではなく、弱い日本がアメリカに卑屈に迎合するのも止むを得ないのではないかと心のどこかでは薄々しているのである。だからこそ、そういう役目に適したような人物が首相になるように暗々裡に事態をもってゆくのである。>

<とにかく、日本国民が内的自己に基づく非現実的期待を首相に寄せ、当然のことながらそういう期待は裏切られるから、そこで、首相を罵倒して引きずり下ろし、次の首相に同じような期待を寄せるということを繰り返していると、言い換えれば、首相を使い捨てにしていると、日本の首相は、政治家として経験を積み、鍛えられ成長するチャンスも時間も与えられないのである。>

<もちろん、首相をやたらに褒めそやせば立派な人物が首相になるというような単純な話ではない。見当違いのことを褒めるのは侮辱するのと変わらない。首相を褒めて立派な人物が首相になるようにするためには、真に首相として褒めるに値するような人格、識見、業績を褒めなければならない。国民がそうできるためには国民自身がそうできるレベルに達していなければならない。世界における日本の位置を理解し、日本にとって何が国益かを正しく認識していなければならない。>

こう考えると、最近の日本の首相は小泉首相を除けば、<使い捨て>だったようにも思える。小泉首相は外交的にはアメリカべったりだった一方で、内政面では靖国神社を参拝するなどして、<国民の内的自己をないがしろにすることのないよう努める>ことにも怠りなかった。しかし岸田秀によれば、<それだけではダメであって新聞と国民の側も内的自己を絶対視しないように意識を改革することが必要であろう>という。

とすれば、小泉政権が長期化したのは、国民の意識が変わったこともその要因と思いたいけど、小泉政権後の首相の頻繁な交代や、小泉政権はアメリカに迎合し過ぎて日本の格差を拡大したという、真実かどうか良くわからない批判が出ていることを考えると、ひとえに小泉首相の力量に負うところが大きかったのだろう。

話は大きく変わるけど、『史上最強の哲学入門』からの引用。筆者がアリストテレスについて語った文章。

 たとえば、ある君主制の国家があり、優れた王のもとで民衆たちは楽しく暮らしていたとする。だが、その王の子供も優れた王になるとは限らない。確率的に考えても代を重ねていけば、いつかは国家を治める能力のない人間が王になるだろう。そして、その暗愚な王による独裁が始まり、国家が荒廃することになる。すると、怒った民衆たちが、「暴君を倒せ!」と革命を起こし、独裁制を転覆させるのだ。こうして、独裁制は打倒され、民主制にその座を譲ることになる。
 だが、民主制になっても起こることは同じである。最初はみんな真剣に国家について考えていたものの、そのうちやっぱり腐敗していく。「みんなで決める」のだからと誰も責任を取らなくなり、面倒くさいことはぜんぶ職業政治家に押し付けて、文句だけを言って自分自身では何も考えようとしない無責任な衆愚制になりはててしまう。そして、どんなに国家が荒廃して、「このまま進んだら危ない!」とわかっていても、「誰も舵をきらない」「きろうとしても間に合わない」という馬鹿げた状態が起き、国家はどうにも立ち行かなくなっていく。そんなときに、颯爽と現れるのが「英雄」である。英雄は、その圧倒的なカリスマと行動力で、革命を起こして衆愚制を転覆させ、国家の実権を握ることに成功する。そして、英雄とその一族を頂点とする君主制が始まって……。以下繰り返し。

今年4月下旬のテレビ朝日深夜の討論番組「朝まで生テレビ」のテーマは「激論! 出でよ! 平成の坂本龍馬」だった。これを見ていたら、パネリストの誰かが、ホリエモンこと堀江貴文が坂本龍馬だ、と言っていたけど、今の日本の体制が切羽詰まっていることの象徴のような気がする。

私にできること。「英雄」、「坂本龍馬」の登場を待つことなのだろう? 私自身は間違っても坂本龍馬にはなれそうもないし。月並みだけど、<内的自己を絶対視しないように意識を改革>し、<世界における日本の位置を理解し、日本にとって何が国益かを正しく認識>するように努めていくほかないのかもしれない。衆愚制が転覆するのは歴史的必然であったとしても、その中で自分ができることはせいぜい、これだけやったら死んでも納得できると意識して生きることだろうから。

しかし、まったく本の感想になっていないね。まぁ、いっか。
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2010/06/27 Sun

ネットスーパーは甘くない?

週末、ミネラルウォーターのまとめ買いが負担だったけど、ネットスーパーで持ってきてくれるから、こりゃいいやと利用しているのだけれど、そんなに甘いものではないようだ。

2リットル6本ケースで498円の時まとめ買いしたいのだけれど、イトーヨーカ堂のネットスーパーは5ケースまでが最近は同一種類のミネラルウォーターの場合、1ケースまで。一方、東急ストアのネットスーパーは3ケースまでまとめ買いできるので、最近ではヨーカ堂では注文しなくなった。しかし、東急も購入できる量をさらに制限するかもしれない。

ネットスーパーがミネラルウォーターの購入できる量の制限を強めているのは、想像だけど、儲けが薄いうえ、配達する人の負担が予想以上だからだろう。ネットスーパーのニーズって、やはり重量物の購入が一番大きいのだろう。実際、我が家でも生鮮食品とかはあまり買ったりしなからね。

ネットスーパーって、これからサービスが向上するのか、それとも廃れていくのか、微妙な感じがする。
タグ:日記
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2010/06/26 Sat

娘を早く大人にしたいのか?

娘の口ごたえが生意気になってきた。いよいよ反抗期かもしれない。ひとりで本を読んだりしていることも多くなり、親離れが始まっているのかもしれない。

幼児のときには何かとまとわりつかれ、早く大人になってくれないものか、と思っていたけど、いざその時が近づくと、あー、よかったという安堵感や、自分から離れていくようで寂しいという気持ちはなくて、人間関係の難しさを感じるというか、どう対応していけばよいのかと、不安になってきた。

幼児の時は、対応は簡単だった。良いことは大げさに褒め、悪いことはきちんと叱るというだけで良かった気がする。しかし、知恵がついて、理屈っぽくなると、納得させないといけない。これって、大人の付き合いのような気がする。

困るのが、こっちに余裕がなくなること。幼児の時は娘が何をしても何を言っても本気で腹が立つことはなかった。しかし、この頃は感情的に叱ることがある。娘が私をモノのように扱うと感じるからだ。

でも良く考えると、娘にしてみたら、単に甘えているだけだから、要するに私が娘を大人にしたがっているのかもしれない。わがままを言われて真面目に相手にするのが面倒くさいから、早く大人になってくれ、しかも自分の思い通りに手のかからない大人になってくれ、と思っているのかもしれない。

これはヤバい兆候かもしれない。もう少し、じっくりと腰を据えてわがままに付き合ってあげるくらいの気持ちの余裕が必要なのかもしれない。
タグ:日記
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2010/06/25 Fri

手作りビールを飲む

サッカー日本代表がワールドカップでデンマークに完勝し、予選を通過したからというわけではないけど、ビールを飲み過ぎてしまったかも。寝不足もあってパタンキューだった。

ところで、今日家でビールを飲みすぎたのにはわけがある。下戸の妻が知り合いから手作りビールをもらってきて、飲んで感想を聞かせて欲しいという、嬉しい状況だったから。

話を聞くと、手作りビールのキットが販売されていて、家庭でもビールをつくることができるらしい。昔、ビールは酒税法で最低生産量が高く設定され、大手メーカーが独占していたけど、それが緩和され、地ビールメーカーがいくつもできたことは知っていたけど、手作りビールのキットがあるんんて知らなかった。

飲んでみると、これが美味しい。フルーティな感じで、地ビールのようなどっしり感やクセもなく、飲みやすい。つくったのは女性らしいけど、なるほど女性が好きそうな味かも。

「手作りビール」で検索すると、たくさんサイトがでてくる。なるほどなぁ。面倒臭そうだけど、楽しそうな趣味かもしれない。お酒はビールが基本も私にとっては実益もあるし。でも大人数と共有できないとイマイチかもしれない。だから、妻にビールをくれるような人がいるのかもしれない。
タグ:日記
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2010/06/24 Thu

あまり、腹が立たなくなってきたかも

最近、あまり腹が立たなくなってきた気がする。また、腹が立って、対抗措置を講じた後、腹を立てたことに後悔するようになった。自分も同じようなことをしたかもしれないのに、何故腹を立てたのかと思い、自分に対し残念な気持ちになる。

いろいろな本を読んで、絶対に正しい、というようなことを求めたり、主張したりすることは害のあることだということを自覚しつつあるからかもしれない。まだ譲れなそうな線はあるものの、ひょっとしたらその線もかなり薄くなっているかもしれない。

しかし、一方で歓びも小さくなっているような気がするから、生命力自体が落ちてきて、腹も立たなくなっているのかもしれない。また、自覚と生命力の低下の両方が作用しているのかもしれない。

腹が立たなくなってきたことに対し、嬉しいとも残念だととも感じない。ただ、余計なストレスがなくなる分、健康には良いのかもしれない。ひょっとして、腹を立てると体が持たないから、防衛本能が働き、腹が立たなくなってきているのかもしれない。

怒りを消すことは難しいけど、怒らないようにすることはできるのかもれしない。しかし、一度怒ったら、今まで以上に大変な怒りに取りつかれるのかもしれない。ちょっと心配かも。
タグ: 日記
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2010/06/23 Wed

朝日小学生新聞

信じられないことに、娘の希望により、朝日小学生新聞を購読することになった。妻の差し金だろうと思ったのだけど、娘から読みたいと言ってきたらしい。

多分、学校で新聞作成していて、見本として見て興味を持ったからだろうと思うけど、本当に読み続けるのかね。新聞の一世帯当たり部数が低下の一途をたどり、妻も私も大人新聞をろくに読んでいないというのに。

しかし、よく見ていると、マンガを読みたいからのような気がしないでもない。1週間もしないうちに、ほとんど読まなくなるだろうと予想。

妻は小学生新聞なら読む、と意味不明のことを言っているけど、子どもに新聞を読ませたいのなら、大人新聞を読んでいるフリでもしているのが一番良いと思うけど。
タグ:日記
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2010/06/22 Tue

出張の楽しみ

関西方面に出張。日帰りだけど、午前中からアポイントがあり、午前6時過ぎに自宅を出発して、非常に疲れた。現地での仕事自体は大したことはないのだけれど、移動するだけで体には負担。若い頃は遠くへ行けるというだけでちょっとワクワクしたものだけど、今はそんな気持ちは皆無だね。

年をとると体がいうことをきかなくなってくるから、楽しみは食べることくらいになる、という話を池田清彦の本で読んだことがある気がするけど、自分もそうなりつつあるかも。今日もカレーのお店を物色し、訪問した土地で良い飲食店はないかと、携帯で食べログをチェックし、帰りの新大阪駅では、美味しそうなものはないか、と物色した。

知らない土地で、新しい飲食店を探すのって、手ごろな暇つぶしなんだよね。いい店だったりすると嬉しくなるし、イマイチでも土産話になるし。最近はインターネットでなんでも情報が取れるから、いいお店も見つけやすい。

出張は年々辛くなっているので、何か楽しみを見つけないと、やってらんないかも。下手すると長距離移動するだけで、普通の出勤と変わらないし。そうか、帰りの新幹線でビールを飲んでしまうのは、ビールを飲みたいからじゃなくて、普通の出勤にしたくないからだね、きっと。
タグ:日記 出張
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2010/06/22 Tue

カフェねーじゅ

カフェねーじゅ(ホットコーヒー:500円)
評価 ★★★★☆ 
珈琲 ホットコーヒー(500円)
一言 ぶらり途中下車して行っても良いかも
頻度 初めて
地域 兵庫県尼崎市
詳細 Click!

テレビ番組でこれといって特徴のなさそうな街の駅下車して、街中をぶらぶら歩いて、珍しいスポットを見つけるというのがあるけど、そんな番組にでてきそうな喫茶店だ。

カフェねーじゅ 外観
JR尼崎駅に隣接する商業施設と反対出口の方向にあり、しかも周囲とはどう考えても不釣り合いな、おしゃれなログハウス風の店舗。何じゃこれ、と思うよ。とはいえ、建物が通りに面している方は地味で目立たない。尼崎には仕事で何度か来たことがあるけど、食べログで調べていなかったら、まず気づかなかっただろう。

ケーキとか美味しいらしいけど、甘いものを食べる習慣はないので、メニューも見ずに(後悔)ホットコーヒーを注文した。これはうまいわ。スッキリ系でコクはあまり感じないけど、香ばしく、甘みがあり、体に優しい感じ。1杯500円とこの立地から見ると割高感はあるけど、味は文句なし。知る人ぞ知ると言う感じで、あまり混雑していない。場所柄かおじさん達がダベっていたのも自分にとっては居心地が良い。

今後、尼崎に行くことがあったら、昼食に何か食べてみよう。この分だとかなり期待できる。このお店がもし、近くにあったら、定期的に通うこと間違いない。こんなログハウス風の建物をたてられる余裕はないだろうけど。
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2010/06/22 Tue

モジャカレー

モジャカレー(モジャカレー・辛さ20倍:600円+100円)
評価 ★★ 
料理 モジャカレー・辛さ20倍(600+100円)
一言 辛くしない方が良いかも
頻度 初めて
地域 大阪市淀川区
詳細 Click!

新大阪駅の地下2階にあるスタンドカレー店。具がないモジャカレーにトッピングするスタイル。カレーを好みに応じて辛くできることが特徴のようで、激辛マニア向けかもしれない。

ルーは野菜、果物たっぷりと思われる甘辛系でとろみが強い。甘辛系最高峰と個人的に思っているインディアンカレーは大阪発祥というせいなのか、大阪にはこの味の系統のお店が比較的多いような気がする。というか、東京発祥で甘辛系のお店を知らない。

辛さは20倍にしたけど、結構辛い。ただ、ルーのデフォルトのうま味と辛みがマッチしていない気がする。あまり辛くない方が美味しいかもしれない。隣の若い人のカレーをみたら、真っ赤でドロドロのルー。友達と来ていたようだから激辛自慢なんだろうけど、相当つらそうで、決して美味しそうではなかった。

私は辛いものは苦手ではないが、激辛マニアではない。だから、辛ければ辛いほど食べたときの征服感、達成感はあまりなく、辛くても美味しくないものは好きではない。もし、こんど食べることがあったら、辛さは10倍以下にしよう。
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2010/06/21 Mon

会社で自家製コーヒー

会社でコーヒーセット
ネットサーフィンしていたら、セブン・セブンという会社の「ウルトラスリムボトル SS-400」というステンレスボトルを見つけた。外径が55mmで、握りやすく、携帯性も良いのが特徴。一番大きいこのサイズの容量は360mlと、コーヒー3杯分の量。この真ん中のサイズはキムタクがドラマで使っていたらしい。

休日、レギュラーコーヒーを淹れて飲んでいるのだけれど、週に2回なので、200gの豆がなかなか減らない。このボトルがあれば、会社でも飲むようになるかもしれない、という相変わらずの形から入る考え方で、早速ポチっとした。

これとあわせて、容量がボトルとちょうど同じ360mlのハリオのレンジサーバーも購入した。今まで、ロイヤルコペンハーゲンのマグカップに直接ドリップしてたので、サーバーを持っていなかったから。

そして今日、これらを使い、コーヒーを淹れ会社で飲んでみた。コーヒー豆はお気に入りの「鷺沼スペシャル」。淹れたてじゃないせいか、ちょっと薄味のような気がしないでもないけど、まずまず満足。今までは「鷺沼スペシャル」ばかり200グラムずつ買っていたけど、毎日飲むなら、別の種類のコーヒーも買って飲み比べても良いかもしれない。

ところで、ユニフレームのコーヒーバネットタカヒロのドリップポットに続き、セブン・セブンのステンレスボトルと、お気に入りのコーヒー用品は新潟県の会社。以前使っていた弁当箱はアイザワというこれまた新潟県の会社。やっぱり金物は国産の新潟県製がイイよね。
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2010/06/20 Sun

ゴキブリって

今年、初めてとなるゴキブリが深夜1時頃に出現した。眠りについた直後、おびえる妻に起こされて、キンチョールを使って退治した。去年は3匹退治したけど、今年は何匹になることやら。しかし、ゴキブリを見たのはここ数年で最速かも。

妻はゴキブリに滅法弱く、退治係は私。しかし、ゴキブリ退治によって、私は私が父親であることを確認し、家長の地位に上がるような気がする。たとえいざこざがあったとしても、ゴキブリ退治となると、妻は私を頼りにせざるを得ない。だから、私に優しくなる。

そう考えるとゴキブリって、ありがたいかも。私とて、触ったりはできないけど、退治するくらいなら、なんともない。実家ではもっと凄い状況だったこともあり、ゴキブリに対する耐性は妻よりもはるかに高い。

夜中にたたき起こされるのは、たまったものではないけれど、ゴキブリが家庭内での地位を高めてくれると思うと、悪くないかもしれない。今日は父の日だったけど、最近、家庭内での地位が危うい私のことを案じた何かがゴキブリを出してくれたのかもね。
タグ:日記
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2010/06/20 Sun

『会社が嫌いになったら読む本』

楠木新(著)
★★★   自分はまだ子どもだった

(2010/3/28)

会社が嫌いになったら読む本(日経プレミアシリーズ)
もうとにかく、気力がなくなり、会社のことが嫌いになっていた。そんな時にネットで調べたらこの本を見つけてしまいタイトル買い。

40歳も過ぎると、仕事のことはお手の物だけど、これ以上の成長は見込めない。ゴールに達してしまい、これ以上やることはない。すると、<「今やっていることが、誰の役に立っているのか」「成長している実感が得られない」「このまま時間が流れていっていいのだろうか?」>という<組織で働く意味に悩む状態>、筆者の命名では<「こころの定年」>に陥るようだ。

何故、そうなるかと言えば、自分自身が行き詰まり、先が見えてしまうという年齢的な問題もあるけど、より本質的には、会社組織で働くことは必然的に他律的であり、結局のところ、自律的、主体的な行為ではないから、ということになるのだろうか。人間、誰しも好きなこと、自分で決めたことなら苦労も厭わないだろうけど、人から命令されてやることって、嫌々だもんね。

それで、解決策といえば、他者とのつながりを得られるよう、自分の責任で、主体的に行動するということだろうか。まあ、そうだねと思うけど、それができたらこんな本読んだりしないよ、という気がしないでもない。結局、<その人の根本である個性や価値観は簡単には動かない。変えることができるのは、姿勢や心構えである>という自己啓発書共通の処方箋の域を出ていないような印象。

しかし、人間は全知全能から始まって、挫折、断念を繰り返すことで大人になるはず。それが40歳を過ぎてくると、「人に操られたままで一生を終って良いのか」などと悩むというのは、もうすぐ死ぬかもしれないから、今のうちに好き勝手にやりたいと思うからかもしれないけど、40歳過ぎても子どものままだったんだ、と思わなくもない。人間は自分勝手に生きたいのだけれど、生きられない。そこをどうにかこうにかだましだまし生きるのが大人だったと思うのだけれど。

この本の良かったところは、会社が嫌いになる理由をインタビューなどして調べてくれたことに加え、会社が嫌いになる人は結構いる、自分は孤独じゃない、と思わせてくれたことだけど、そう思う自分はまだまだ子どもであり、大人になるにはこれからも相当の修行が必要だということかもしれない。
タグ: 読書感想
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2010/06/19 Sat

娘、取材する

娘が学校の授業で新聞を作成することになった。そこで近所のお店を取材することになり、数日前、質問を一緒に考えた。今日は妻と一緒に取材に行く日。

取材に行く前に妻の提案でお店に電話をかけ、取材の許可を得ることにしたらしい。妻が電話するのかと思っていたら、娘がかけるという。驚いた。自分が娘くらいの年だったら、できないと言って逃げ出すような気がする。

娘は妻のアドバイスに従い、事前に話す内容をメモし、電話をしてアポイントをとりつけた。凄い。こんなに大人になっていたとは。自分の子ども頃に比べはるかに大人。女の子は男の子に比べ大人になるのが早いと思うけど、都会暮らしで刺激が多いことも一因かも。

それでも、娘は凄く緊張したらしく、電話を切ると凄いハイテンション。叫んだり、踊ったりしていた。その気持ち、非常に良くわかる気がする。

お店の人がいい人で、取材も上手くいったらしく、メモを取りやすいように机を貸してくれたり、ゆっくり話してくれたらしい。人気商品の売れ行きや工夫した点などを聞き、まあ、なんとか記事として成立するだけの材料は集めてきた感じ。

取材後もやっぱりハイテンション。初めての人に話を聞くのって、緊張するもんね。それにしても、こんなことを物おじせずできるとは。自分の娘ながら、ちょっと立派。見直したかも。
タグ:日記
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2010/06/19 Sat

『世界の電波男』

本田透(著)
★★★★★ 現代の閉塞感を打開してくれるかも

(2008/8/13)

世界の電波男 ― 喪男の文学史
電波男』の本田透の物語論。筆者によれば『喪男の哲学史』の兄弟作にもなっているとのこと。電波男とは小説やマンガ、アニメなど2次元(フィクション)世界に生きてゆく勇気を見出すような人、のことだと思うけど、<「実は、世界中に電波男がいたんだよ! ドストエフスキーとか! な、なんだってー」>ということらしい。

物語の機能(目的)は何か。筆者によれば<「願望を充足させること」というよりはむしろ「欲望充足の予感」つまりは「希望」を与えることなのだ>。そして<「自我を外部から観察する、もうひとつの意識」>である「自意識」の<ツッコミによる解体という選択をせずに敢えて物語を求め続ける>人が「電波男」ということなのだろう。

何故、願望を充足させることではなく、充足の予感を求めるのだろうか。それは<「達成」とはつまり物語の「終わり」なのだ。><実は人間は、幸せの予感が終わらないことを望んでいる。もちろん人はいずれ必ず死んですべての幸せが絶望に黒く塗りつぶされてしまうのだが、それを知っているからこそ「永遠」の「予感」を望むのだ>ということだ。

しかし、ここまで書いて思ったのは、電波男とは死と向き合うことを避け、不安から逃れるために、フィクションの世界にはまっているような人じゃないのか、ということだけど、そもそも人間は自分という物語を生きているのであり、物語なしでは生きていけない。<「永遠」の「予感」>を抱かないと、生きる気がしないから、多かれ少なかれ、人は「電波男(女)」なのだろう。

なんだか良くわからなくなってきたけど、本書の大半は筆者が物語を8つのパターンに分類し、具体例を示しながらその特徴を述べていく。そして最後に<物語のすべてを取り込んだ「究極の物語」>である手塚治虫の『火の鳥』論を展開する。これが良い。これを読んだせいで、およそ2年後に火の鳥を読むことになってしまった。

『火の鳥』は未完のまま手塚治虫は亡くなってしまった。でも完結することは、<「手塚がマンガを描くことをやめる」ことを意味する>から<『火の鳥』の完結編は描かれてはならなかった>という。

 自意識のツッコミによって「萌えの救済」すら信じられなくなり、行き場を失ってしまった我王=手塚。そんな彼の最後の「救済」とは、「それでも物語を紡ぎ続けること」だったのだ。
 自意識のツッコミに直面しつつも、それを乗り越えて物語を求める。その際に必要だったのが、「大勢の読者」だったのだろう。一人ではもはや救われなくても、大勢なら。「物語」の力を信じる者が増えれば、三次元の世界だってもっと意味のある、ましなものになるのではないか。
 手塚は「物語のよりしろ」となっていたのだ。
 たぶん、自分はもう救われることはない。
 だが、「物語」によって他人を救うことはできるはずだ。
 そう信じて実践し続けることが、手塚自身の救済にもなっていたのである。それは「救済の予感」にすぎなかったのかもしれないが、救済とは願望充足とはそういうものだ。
 手塚治虫の遺言は、
「仕事をさせてくれ」
 だったという。

話は変わるが、筆者はあとがきで<二次元の物語には二つの機能がある。><ひとつは、三次元の物語で主人公になれない人間を癒すための脳内自足としての二次元物語。その日を生きるための「魂のご飯」みたいなもの、「精神の酸素」みたいなものだ。><もうひとつは、閉塞し行き詰った三次元の物語を新しい物語に書き換えるための実験場としての二次元物語。つまり、「新しい物語を作ろう!」という方向性だ>と書いている。

この点で、この前読んだ『史上最強の哲学入門』の文章を思い出した。

 ひとつはっきりしていることは、みんなが安価な娯楽に満足し、「労働の価値」を見失ってしまったとしたら、新自由主義だろうと反・新自由主義だろうとうまくは行かないということだ。そのときには、新自由主義に替わる「新しい○○主義」を考えださなくてはならない。
 当然それは、この時代、今の時代を生きる僕たちの役目であるが、その使命を果たす可能性が特に高い人々がいる。経済システムを維持するためだけに働かせ続け、過剰労働で身体を壊してしまった人たち、もしくはそんな労働に生き甲斐を見出せずついには心の病気になってしまった人たち、ワーキングプア、負け組、ニート。すなわち、前時代の主義により生み出された歴史的問題の渦中にいる人々。彼らは歴史の最先端を生きる人間であり、それゆえに彼らこそが「国家とは何か」「労働とは何か」「満足して幸福に生きるとはどういうことか」を真剣に哲学し、「新しい価値」をつくりだしていかなければならない。そして彼から生み出された「新しい価値」が、将来、文化・政治・経済あらゆる分野でこれからの世界の舵をとっていくのだ。

「電波男とは死と向き合うことを避け、不安から逃れるために、フィクションの世界にはまっているような人」という私の当初の考えは誤りであることに気付く。「新しい価値」をつくり出すのは「電波男(女)」なのかもしれないのだ。
posted by K2 at 17:08 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/06/18 Fri

節約と欲望

将来に備えて節約しお金を貯めたいのだけれど、家族の考えは違うようだ。今の消費水準を減らしたくないから、働いてお金を稼ぎたいという。私は、働く前に支出状況を把握し、不必要なものを削るのが先決だと言うのだけれど、どこかの国と一緒で、これがうまくいかない。

しかし、よく考えてみると、人間はお金があったら使う、なくなったら、借りてでも使いたい、という欲望を本来持っている存在なのかもしれない。お金を使うことは他人とつながるということだろうから、他人なしでは生きていけない人間は、お金を使いたいという欲望を持つのが自然なことなのかもしれない。お金を使わず我慢することは、孤独で、死んでいるようなものなのかもしれない。

では何故私は、節約をしたいのだろう。多分、将来の状況を先回りして考え、生存そのものに対する不安を抱いているからだろう。しかし、この不安は自分で膨らませた幻想に基づくものなので、これを共同化できない家族には理解されない。家族も節約は大事だと頭では理解している、と思う。しかし、無意識のうちにそれは本当なのか、と疑っているような気がする。また、そうなったらそうなったでいいじゃないか、と思っているのかもしれない。家族から見たら、私は現状と自分勝手に描いている未来像に固執しているように映るのかもしれない。そのための今の自分(家族)を犠牲にするのはやめてくれと思っているのかもしれない。

節約をせず働くことに私は反射的に抵抗してしまったけど、それでもいいじゃないか、と考えを変えた。資本主義って、きってそういう人間の欲望を原動力に発展してきたのだろうし、今の経済が停滞しているのは、私の家族のような考え方をする人が相対的に減ってきたからだろうし。

それでいいのか、という気はするけど、それでいけないという確信もない。とすれば好きなようにやってもらうしかない。たとえ、それが自分の気に入らなくても。自我を支えるとともに、脅かす最大の存在、それが家族だということなんだろう。
タグ: 日記
posted by K2 at 23:59 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010/06/17 Thu

知らぬが仏、じゃダメなんだよね

職務上、知りたくないことを知らないといけなくなった。知るとがっかりすることになった。知らないことの方が幸せではないか、というきがしないでもなかった。

しかし、以前読んだ『寂聴 般若心経』で筆者は<何でもものごとは、真実を知ったほうがいいんです。ごまかされるより、真実を知ったほうがいい。真実を知って、なおかつその真実の苦しい人生を生きていくのがいいんです。 それは真実というものは、必ずしも美しくありません。それは、人間が凡夫だから。人間が無明を抱えているからです。心に闇があるから、人間のすることは、ろくでもないことが多いのです。でもそれが人間なんです。われわれは人間として生まれてしまったんですから。それならば生きている間、人間として、人間の世界で、そういう清濁合わせ呑んで生きていくよりしょうがないでしょう。わかりますか>と書いていた。

そう言われるとそうかもしれない、と改めて思う。自分だって、がっかりなことをしているのに、人にがっかりするなんて、おかしいけど、こういうのを自己愛というのだろうか。

だから、自分に甘いということを良く自覚して、過度に他人に対し厳しい気持ちを持たないようにしないといけない。一方、自分に対して厳しすぎると、結局他人が許せなくなる。そういうことも良く自覚する必要がある。

要するに、他人にも自分にも適当に厳しく、適当に甘く、のらりくらり、だましだましやっていくしかないかもしれないね、と思うのだけれど、人と話をすると、自分が凡夫であることをうっかり棚に上げ、つい威勢の良いことを言ってしまう。こういう性格であることも良く自覚しないといけない。
タグ:日記
posted by K2 at 22:48 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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